お侍様 小劇場

   “孤独な夢は もう見ない” (お侍 番外編 93)
 

      


 今年の梅雨はなかなかの長っ尻で。その停滞っぷりから、九州や西日本を中心に、とんでもない量の大雨を降らせ倒して来たものが。終盤に至っては、偏西風に乗って来た熱波の刺激を受けて北上しながらの活発化。関東地方や日本海側へまで、ゲリラ豪雨という形で牙を剥いており。

 「おおシチさん、おはようさん。」
 「あれ、ゴロさんじゃありませんか。」

 この数日お顔を見ませんでしたが、やっとのお帰りでしたかと。今日もまた湿度の高そうな庭先へ、リビングの掃き出し窓から出て来た七郎次が、にっこりという笑顔つきにて、気さくな声でご挨拶を返した偉丈夫こそ。お隣りの車輛工房の家主でありオーナーでもある、片山五郎兵衛その人であり。年の頃は勘兵衛と同じくらいか、それにしては彼もまた、なかなかに頑健な肢体と強靭な芯の張った気概を保った、それは頼もしい壮年殿。決して安請け合いではなくの、何でも聞いてくれ、力になってくれる、そんなまで 気さくで懐ろ深い人性からだろう、老若男女を問わずに知己も多く。そんな中、どこからともなくやって来た、腕のいいメカニックである林田平八との同居を始めたのが5年ほど前。素性はいまだに一切訊いてはないそうだけれども、一途で優しいその本質を見抜いた上で、敢えて訊きほじることもなかろうと構えておいでだとか。そんな彼がネットで請け負う、ボックスカーや路販車のオーダーメイドが、始めた途端に好評を博し、注文が絶えない状態となったその煽り。完成品を納品しに行く遠出を一手に引き受けてのこと、月の半分は姿を見ないこともしばしばとなっており。今月に入ってだと、初めてお顔を見たんじゃありませんかねなんて、青い双眸たわめて微笑った七郎次へ、

 「それはちと言い過ぎだぞ、シチさんや。」

 くつくつ笑った偉丈夫が、その手へ持っていたのが緑の細い支柱の束。それを見つつの、“帰って早々、どしましたか?”と小首を傾げた七郎次なのが伝わってだろ、

 「いやなに、昨夜の強風雨にトマトの苗がもみくちゃにされておったのでな。」
 「ありゃりゃ。」

 ヘイさんにすっかりと任せっきりになっておったが、帰っている折くらいは 某
(それがし)が手をかけようと思うたのだよと。家の横手に設けられてある菜園を指差した…彼だったのだが、

 「………お? 久蔵殿では。」

 七郎次が出て来た窓辺、チョコリとその縁に腰掛けている人影へ、今の今 気がついたらしく。リビングの窓際、テラス側に置かれた ポトスだろうか観葉植物の鉢の傍らにいるせいで。濃緑に重なって、その金の綿毛や色白な横顔がよく映えているのにね。日頃からもさほどに“俺が俺が”と主張する子ではないけれど、それでも、その落ち着きのある存在感は、それこそ頼もしいくらいのそれとして、際立ってた筈だのに。それが今日は…何だか様子がおかしいような。

 「それがしの気のせいでなければ、随分と意気消沈してなさるような。」

 凛としていて冴え冴えと、すぎるほどに整ったそのお顔には。まだ十代というその年齢には到底そぐわぬほどの、人を一瞥のみにて黙らせる、途轍もない威容さえあった青年だのに。今そこにいる彼は、そんな雰囲気なぞ欠片もなくて。しおしおと力なくその細い肩を萎えさせているばかりと、

 「あはは、そうと見えますか、やっぱり。」

 大きめの体躯をややわざとらしくも縮こめて、生け垣越しに七郎次へとお伺いを立てる五郎兵衛へ。訊かれた七郎次がどこか…乾いた笑い方をする。彼が 我が子も同然に可愛がっている久蔵の不審な態度、その原因もきちんと判っておいでなようで。隠したくての誤魔化しか、それにしては困ったなぁというお顔を隠し切れていないのが、この七郎次には少々似合わぬこと。

 「…大したことじゃあない・のですかな?」
 「久蔵殿以外には恐らく。」

 ややこしい言い回しをしながら、その視線は問題の次男坊の上へと置いたままな七郎次で。大したことじゃないのに消沈している彼が、子供のようで可愛いのか。それとも、他の人だと他愛ないと思うよなことを、ああまで重く持て余す久蔵なのが、どうにも愛しい彼なのか。

 “………ということは。”

 はは〜んと、五郎兵衛にもピンと察しがついたようで。

 「シチさんがらみの何かですな。」
 「…………ええ。///////」

 困ったことですとの吐息をつきつつ、なのに、それを嬉しいことと思ってしまうか、含羞むように頬笑むところが、

 「嬉しい矛盾、に見えますな。」
 「…ゴロさん。///////」

 ああ、やはり見通されたかと感じたか、図星を差されて、なのに白い頬がほのかに朱に染まるのがまた。

 “勘兵衛殿が此処にいたなら、大慌てで引きはがされてるとこでしょな。”

 色白な風貌から受ける印象そのまま、線の細い、繊細そうな青年の照れ隠し…という態度に過ぎないはずが。居たたまれないらしい落ち着かなさへ、品のいい可愛げと 幸せそうな含羞みとを、綯い混ぜにしたよな笑みが乗ると…あら不思議。

  何とまあ、色っぽくも愛らしいことか

 武道の心得あってのこと、所作・動作にも切れがあって、決してなよなよとしたところはない。すべらかな頬やおとがいに縁取られた、すっきりとした目鼻立ちといい、玲瓏透徹、一点の濁りもない表情といい。麗しい風貌ではあるが、清々しくはあっても いわゆる女々しいところはない。

  だというのに

 恐らくはそれだけ心許している人の前でだけ、その優しいお顔に、罪なほどに深みのある、感情豊かな何かを滲ませることがある彼で。気の置けない人だから、取り繕う必要がないからと、嬉しいとか恥ずかしいとか、そんな可愛らしい感情をも、ついつい見せてしまうのだろう。それはそれとして、見て見ぬ振りにて流しつつ、

 「………で?
  一体どうしてまた、久蔵殿が落ち込んでおいでなのかな?」

 「えっと、あのその…。////////」




      ◇◇


 期末考査が終わり、高校生の久蔵がそのまま、夏休みも同然の試験休みというものへ突入したのが、先週半ばの七夕のころ。先生方の採点や成績表整理の都合…というものか、夏休みが幕を開ける終業式までの授業は無しとなる。とはいえ、夏休みといえば各種スポーツの全国大会も開催されるシーズンで。小学生や中学生サッカーの全国大会や、高校野球に高校総体、別名“インターハイ”は特に有名。それでなくとも、暑さ寒さなぞ関係ないと、通年での稽古を奨励される剣道部に籍を置き、新入生の春大会からエースを張ってる島田さんチの久蔵くんは、二年に上がった今年もまた、東京代表選出の都大会で優勝し、連続で個人戦の代表に選ばれている……のだが。

 「あらまあ、M県の高校野球の予選は観客なしですか。」

 朝のニュースのスポーツのコーナーで、そんな話題が取り沙汰されており。九州地方を襲っている家畜への感染症の影響で、畜産業を営む営まぬに関わらず、あんまり遠出はしないようにという注意が徹底されており。その煽りから、全国高校野球選手権への予選へも、様々な土地から球場へ多くの人が集まらぬよう、そして誰かが持って来た危険な土を、まだ無事な地元へ持って帰らぬようという配慮の延長だろう。応援席への観客は入れぬという異例の方針が今夏は通されているという。

 「何だか寂しいことですねぇ。」
 「そうだな、近場の球場での勇姿なんだし、
  ご家族も尚のこと、応援くらいは行きたいだろうに。」

 朝食後、彼だけは常の出勤を控えていた勘兵衛が、居間のソファーでゆったりと新聞を広げつつ、七郎次の呟きへの同意を示す。昨夜の雨の余韻でか、窓の外は微妙な薄曇り。それでもちゃんと定時に起き出し、そんな空の下で、竹刀を振るったらしい久蔵が、食後の煎茶を盆に載せ、勘兵衛の前へと よいせよいせとの慎重に運んでくれており。少しでもおっ母様のお手伝いをしたいらしくての微笑ましいご奉仕へ、勘兵衛もまた、微笑みつきの“すまぬな”という一瞥を送る、チームワークの善さであり。

 試験休みとはいっても、剣道の練習はあるのだろう?
 ………。(頷)
 試合を模して、竹刀を当て合う練習も必要ですものね。
 ………。(頷)////////

 といっても同じ道場を柔道部と交替で使っている関係で、剣道でもそうと言うものか、乱取り稽古は1日置きに、午前午後とへ振り分けられているのだそうですよと。先に話を聞いてある七郎次が、勘兵衛への補足をして差し上げる。湯飲みをテーブルへと置いたそのまま、勘兵衛のお隣に座った彼を挟むよに。両側から話しかけられるいちいちへ、うにむにと口許たわませて、半ば照れつつも相槌打って見せていた、無口な次男坊だったのだけれども。

 【 今年の高校総体の開催を待つ沖縄では……。】

 話題が変わったらしく、テレビから流れて来たのは、バトンタッチしたらしい女性アナウンサーの声。様々な競技が催される各都市で、会場や宿舎、交通機関の整備などなど、準備が進んでおりますとのリポートに、

 そうか、沖縄か。
 ええ、沖縄なんですよ。

 やはり何の気なしに言葉を交わす両親の狭間から、不意にがばっと、それは勢いのあるまま立ち上がったものだから。

 「え?」
 「久蔵殿?」

 見かけのみならずの寡黙で冷静。どんな突発事態へも、周囲をざっと一瞥し、最も無難で最良最善の手配を打つこと。それがもはや呼吸のように身についてもいる、島田一族 木曽支家の次代様が、その身を弾かれたまま取った行動だっただけに。

 ただならぬ何かが彼の感応を叩いたに違いないと。

 その鋭敏な注意力にキャッチされた何物か。何か気になることでも画面に映っておりましたか?と。ほんの数秒くらいなら録画していなくとも巻き戻せる機能つきのテレビ、確認は容易いですよと、リモコンを手にした七郎次だったのを、

 「〜〜〜〜〜。」

 ただただ困ったというお顔にて、見下ろした久蔵だったのであり。



  ………………… さて、ここで問題です。(こらこら)




      ◇◇


 話の途中から既に察しがついてたらしく。頼もしい大きな肩が微妙に震えているのを見上げつつ、七郎次がこそりと耳打ち。

 「…ゴロさん、笑っては可哀想ですよう。」
 「いや………すまぬ。」

 学生剣道の畑じゃあ、全国レベルでの実力を知られた有名人で、あちこちの各地に、彼を倒すべしと鍛練に励む子がたんといる。いやさ、大学生や社会人の皆様も一目置くほどの、凄腕の剣豪さんなのにね。

 「今年は沖縄開催だってこと、
  今朝まで知らなかったということかの?」
 「知ってはいたらしいのですが、
  自分へ直結してはいなかったらしいというか。」

 昨年の大会中も、たとえ閉会式に出ていなかったとしたって、次の開催地への周知を狙った記載はあちこちであっただろうにね。まるっきりの すこーんっと、視野の外となっていたらしく。さわさわと“沖縄”という語彙が聞こえちゃいたが、地方ブームとかいうものが定着しつつあったし、かてて加えて、そろそろ夏のバカンスシーズンだし。それでだろうなんて、勝手な処断をしてのやはり、聞こえてはいても自分に関わりはないこととし、まるっきり確かめないでいたらしく。

 「全国からの代表によるトーナメント大会のようなもの、
  団体戦と個人戦の男女それぞれということで、
  結構ハードに詰め込まれるそうですが、それでも 都合4日。
  女子の試合まで観戦する義理はないとか思ってたらしくて、
  それでも“2日も”沖縄の空の下にいなけりゃならないんだと、
  今朝のそのニュースを聞いて、やっと自覚したようなんですよね。」

 茫然自失とはこういう顔だという見本のような、そんな茫然顔を披露してくれた挙句。見上げる七郎次のほうを振り返り、その懐ろへと頽れ落ちて来た久蔵は、困った困ったとありあり判る取り乱しようで、細っこい両腕をおっ母様の肩口に回したまま、5分47秒も心ここにあらずの体でいたらしい。

 “秒まで測ったのは勘兵衛殿だな。”

 あっはっはvv 判りますか、やっぱり。
(笑) 冗談はともかく。都内の大会のように、朝早くに出掛けて試合に望み、会場を夕刻に離れて帰宅する…という訳にも行かない。最低でも前日に現地へ入り、帰郷するのも試合の翌日となるだろうから、試合は実質1日でも、都合3日掛かりのお出掛けとなる訳で、

 「私も試合の当日は会場まで応援に行くからと、言ってあるのですけれど。」

 ただ離れるだけじゃなく、そこまで…飛行機か船を使わにゃ行き来のかなわぬ、そうまでの距離を置く別離というのが初めてだから。随分と気が動転してしまっている次男坊であるらしいとあって、

 「いやぁ成程。
  久蔵殿にはシチさんが、余程のこと心の支えであるのだのう。」

 先の話だってのに、今からそこまで消沈してしまおうとはと、可愛らしいことよと笑ってくださるお隣りさんへ、

 “…どこまでどういう案じから、困っておいでなのやらですが。”

 そこを話せないのが、七郎次としては歯痒い限り。いくら何でももう高校生なのだから、単に“離れ離れがイヤだ”としょげている久蔵なのではあるまい。彼らを繋ぐ島田の血縁の絆には、実は表沙汰にしてはならないもう1つのお顔があって。そちらのお顔で構成している、組織立ったとあるお役目に連なる色々は、時として途轍もない危険も運んで来るがため。周囲の人には明かせぬまんま、素知らぬお顔で暮らしておいで。そちらの蔓の一環として、駿河の宗家や木曽の支家に仕える家々の家人のうち、東京在住の皆さんが“草”という連絡員として、久蔵や勘兵衛というそれぞれの主人の勝手を助ける役割も果たしておいでで。ちょっとした連絡係や、まだ未成年の久蔵の場合は車が要りような場合の運転手として、呼び出されるまま助けてくださっているようなのだが。そういう方々をこの自宅の周辺のご町内へも、さりげなく常駐させるようになった切っ掛けというのが、七郎次が怪しい婦人に付け狙われたらしい一件から。その件はあくまでも、七郎次の風貌がたまさか見初められたらしいというのが発端なのであり、知った相手によっては微妙に危険な肩書、島田一族の末端という素性が暴かれてのことじゃあなかったが。それでも、それならそれで…普通の一般人だったなら、周到な段取りのもと、力づくという卑怯な手でもって有無をも言わさず略取されていたかも知れず。それを阻止するためとはいえ、なんと彼自身が七郎次の身代わりになりすましたという、そっちもそっちで何とも危険な策を発動していた久蔵だったのへは、さすがに肝を冷やしたものだった。七郎次の側からすれば、久蔵もまた島田の重要な主幹を担う身。そんなお人が…名乗り上げさえしてはない自分なぞの身代わりになるなんて、本末転倒もいい話なのだが、

 『お主が万が一という時に、
  駆けつけられぬ、助けにならぬというのは相当に口惜しいのだろうて。』

 宗家だの支家だのという、下らぬ格付けなんぞ歯が立たない級で“大切”な存在なのだから…と、勘兵衛が判りやすく断じてくだすったのが、面映いながらもその通りなのだろなと。七郎次としても認めるほかはなかった一件でもあって。ちなみにその事件のおりは、結果として、問題人物でもあったご婦人を社交界からの追放という凋落にまで追いやってもいる恐ろしさ。(『
たとえばこんな非日常』参照)

 “わたしって、そんなにも危なっかしいのでしょうかしら。”

 これでも腕には自信もあるのですがねと、そういう方向からも困った困ったとの苦笑が絶えぬ七郎次だったりし。ともあれ、久蔵殿の可愛らしい煩悶、五郎兵衛や平八という最も近場に住まう方々からも微妙に誤解されているまま、波乱三昧のこの夏を、迎えそうな気配である。




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 *序章の 思わせ振りで意味深だった展開はどこへやら。
  タイトルに偽りありみたいな続きですいませんです。
(ううう)
  今年の高校総体は沖縄と聞き、
  深刻なお話を長々と書くのはキツいもんで つい寄り道を。
  ええ、主筋は ちゃんとタイトルにも沿った傾向です。
  色々と手間の多そうなお話です。
  何でこんなややこしい話を思いついちゃったんだろと、
  今頃 微妙に後悔しております。
(こら)
  その点、女子高生は
  エンタテーメントぽくって楽しかったなぁvv(こらこら)

 *ゴロさんの一人称の“某
(それがし)”は、
  現代劇には少々違和感があるので、
  毎回どうしたもんかと結構悩みます。
  それを言ったら勘兵衛様の“儂
(わし)”も相当なもんで、
  戦国武将ならいざ知らず、
  四十、五十代ではまだ早いだろう、その一人称。
  公的な場、商談の際なんぞでは、
  きっと“私”と使い分けているんでしょうね。

 *もちょっと、と言うか、次からが本題みたいなもんです。
  どか、お付き合い下さいましね?


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